『逝かない身体ーALS的日常を生きる』川口有美子 医学書院 [本]
神経性の難病ALSを患った母親に、12年間寄り添った娘の記録です。
とサラッと書いてしまうと、この本のすごさ、深さは伝わりませんね。
からだの自由が徐々にきかなくなくなり、しまいには眼を動かすことも
できず、意思を伝えることもできなくなったお母さまの横で、著者の心は
揺れ、迷い、不安にかられます。ここ数年で、読んでいてこれほど苦し
かった本はありません。自分ならどうするだろう。生きるとはどういうことか。
安楽死は認められるべきなのか。さまざまな問いを突き付けられ、その
たびに「うっ」と立ち止まってしまいました。
しかし、本を読み進め、このページにさしかかったとき、私はこれまでに
見たこともないような美しい景色に出合った気分になりました。
お母さまがいよいよ「植物」状態になり「閉じ込められた」ようになって
しまったとき。著者はこう記しています。
「むしろ草木の精霊のごとく魂は軽やかに放たれて、私たちと共に
存在することだけにその本能が集中しているというふうに考える
ことだってできるのだ。すると、美しい一輪のカサブランカになった母の
イメージが私の脳裏に像を結ぶようになり、母の命は身体に
留まりながらも、すでにあらゆる煩悩から自由になっていると信じられた
のである」
「ここからは簡単だった。患者を一方的に哀れむのをやめて、ただ一緒に
いられることを尊び、その魂の器である身体を温室に見立てて、蘭の
花を育てるように大事に守ればよいのである」
(200-201ページ)
この文章に出合えて、本当によかった。
川口さんに深く感謝します。
とサラッと書いてしまうと、この本のすごさ、深さは伝わりませんね。
からだの自由が徐々にきかなくなくなり、しまいには眼を動かすことも
できず、意思を伝えることもできなくなったお母さまの横で、著者の心は
揺れ、迷い、不安にかられます。ここ数年で、読んでいてこれほど苦し
かった本はありません。自分ならどうするだろう。生きるとはどういうことか。
安楽死は認められるべきなのか。さまざまな問いを突き付けられ、その
たびに「うっ」と立ち止まってしまいました。
しかし、本を読み進め、このページにさしかかったとき、私はこれまでに
見たこともないような美しい景色に出合った気分になりました。
お母さまがいよいよ「植物」状態になり「閉じ込められた」ようになって
しまったとき。著者はこう記しています。
「むしろ草木の精霊のごとく魂は軽やかに放たれて、私たちと共に
存在することだけにその本能が集中しているというふうに考える
ことだってできるのだ。すると、美しい一輪のカサブランカになった母の
イメージが私の脳裏に像を結ぶようになり、母の命は身体に
留まりながらも、すでにあらゆる煩悩から自由になっていると信じられた
のである」
「ここからは簡単だった。患者を一方的に哀れむのをやめて、ただ一緒に
いられることを尊び、その魂の器である身体を温室に見立てて、蘭の
花を育てるように大事に守ればよいのである」
(200-201ページ)
この文章に出合えて、本当によかった。
川口さんに深く感謝します。
2010-06-11 17:04
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