『治りませんように』斉藤道雄 みすず書房 [本]
タイトルからして衝撃的である。そして、斉藤さんが10年かけて手探りで書かれた本は、もっとじっくりと丁寧に読まなければいけないだろう。今日、読み終えたのだけど、少し時間をおいてもう一度読みたい、いや読まなければ、と思う。
線を引いた箇所はたくさんある。なかでも精神科ソーシャルワーカーの向谷地生良さんの「苦労の哲学」が特に心に響いた。
なぜ苦労するのか、なんのために苦労するのか、という苦労の哲学。自分の苦労は地球の裏側にある苦労とリンクしているという捉え方や、苦労への親和性とでもいうものが「人とつながる」ことに向かっていく。
向谷地さんは「しあわせにならない」とも自分自身に言い聞かせている。
それはけっして不幸になることを勧めているわけではない。しあわせそのものを否定しているわけでもない。
「しあわせになるという生き方が陥りがちな、閉じてゆく方向性、他者への関心の喪失、それがもたらす人間存在の陰影のなさを突いている」(243ページ)。
深い。
違和感
1週間?のニュースの映像を流していた。だいぶ前から、こうした趣向でやっていたらしい
が、私は初めて見た。
タイで村本博之カメラマンが、亡くなる直前に命がけで撮った映像や、
中国の地震で瓦礫の山から救助される人の姿、火山の噴火、鳩山の顔……
などなどが次々とフラッシュで流される。そこにPerfumeのポップで機械的な音楽が
のっかることの違和感。
これをなんとも思わず、平気で流せる感覚は、なんだろう。
ニュース番組がバラエティー化して久しいけれど、人の生き死にを伝える映像と
かるーい音楽を組み合わせて違和感がない、というのは、人として明らかに
何かが麻痺している、あるいは欠落しているのではないだろうか。
報道に携わる人たちのこうした無神経さが、いまのマスコミ不信にも
つながっているように思える。
植田智加子著『南アフリカらしい時間』 [本]
鍼灸師である。それがきっかけで翌年、南アフリカに行き、半年近く滞在した。
「鍼灸で治りそうな病人がいたら治療させてもらい、その人の家に泊まる。うまく
治ったらほかの家からもよばれるからそちらに移動する……」
そんな日々の様子を『手でふれた南アフリカ』(径書房)という本に著している。
ふんわりとした風のように、自由で、やさしく、心地よい文章は、彼女の
人柄そのもののようで、私の愛読書の1つとなった。
前著から17年(もたってしまったことに驚き!)
彼女にとって2冊目となるエッセイ集が出た。
ふんわりとした風のような文章は変わらない。しなやかで、繊細な感性も、
シンは強いのに、控え目で偉ぶらない態度も。そして、前作にも増して、
一つ一つのエピソードがおもしろい。
オリンピックに応援歌は必要か
スポーツ観戦が大好きな私は、時間が許す限りテレビを見ているのですが
いつからでしょう、各放送局がオリンピック応援歌を流すようになったのは。
昔、昔はファンファーレのようなものを流していたと記憶していますが
最近では人気歌手の歌を採用しているのですね。
で、オリンピック関連のニュース番組になるとBGMとしてその曲が流れるわけですが
もともとBGMが苦手な私にとって、小さな音量ながら、はっきりと
聴きとれるメロディーは苦痛以外のなにものでもありません。
とくにフジテレビ。O塚Aさんの曲だと思うのですが、あの曲のサビの部分が
繰り返しずーっと鳴っていると、思わずチャンネルを変えてしまいます。いえ、O塚さんの
曲が悪いといっているわけではないのです。ただ、スポーツニュースを見るときには
必要なし、というか、そぐわないメロディーなのです。
そもそも、だいたい、なんで応援歌が必要なのかなあ。純粋にスポーツとして楽しみ
たいのに、バラエティー化しないでほしいのです。
街でも、駅でも、レストランでも、BGMだらけ。
みんな、そんなにBGMが好きなのかなあ。
違和感を感じているのは私だけ?
インビクタス負けざる者たち [映画]
そして、ネルソン・マンデラの偉大さに改めて敬服する。
「赦す」ということ。「和解する」ということ。
27年もの間、狭い監獄で自由を奪われながら、「敵」をこそ「仲間」に変えてしまうマンデラ
の大きさ。その信念が人々を、そして国を変える奇跡になっていくのを見ていると、
こちらまで勇気がわいてくる。
映画のなかで紹介される「インビクタス」という詩。収監中のマンデラ氏を支えた、という
言葉が印象に残る。
I am the master of my fate:
I am the captain of my soul
私は我が運命の支配者
我が魂の指揮官なのだ
モーガン・フリーマン、マット・デイモンの「なりきり」演技も素晴らしいです。
98点。
「沈まぬ太陽」と「This Is It」 [映画]
「沈まぬ太陽」。
上映時間の長さはまったく感じなかった。
女の世界のドロドロも面倒だけど、男の世界のドロドロはほんと、おぞましいわ~。
「清濁併せ呑む」のをよしとする、ことで企業や政治は動いているんですねえ。
「幸せってなんだっけ、なんだっけ♪」というさんまさんのコマーシャル歌が、映画を見終えてしばらく私の頭の中で鳴り響いていました。
正攻法の作品だけに、細部のリアリティがもう少しほしかったなあ。
三浦友和はけっこう頑張って悪役になっていました。
渡辺謙はかっこいいです。
70点。
「This is it」
期待した以上によくできた作品。
マイケルの見方も大きく変わりました。
本当に素晴らしい才能、最高のエンターテナーをなくしてしまいました。
コンサートを作り上げていく過程が実におもしろい。
世界中から集まったスゴイ才能の持ち主たちが、みんな一生懸命で、それでいて
楽しそうで、生き生きとしていて。
これぞ「プロフェッショナル」だなあ。
マイケルはそんな中でもオーラが違う。50歳であのからだの「キレ」!
そして歌声の美しいこと。仕事に対する姿勢は驚くほど謙虚で、一途でした。
観ていて思わずこちらまで踊りたくなってしまうんです。
もちろん、家に帰って早速いろいろ真似てみたんですが、どうやっても
どじょうすくいか、阿波踊りか、単なるヘナヘナ踊りにしかなりませんわ。
環境問題をいますぐ、どうにしかしなくては!
鏡の中の人(つまり自分)を見つめ、まずは自分から何か行動を起こそう!
というのが、マイケルの遺言のような気がします。
120点。もう一度観たいぐらい。
バベル [映画]
好きか嫌いか、と問われれば、あまり好きではない作品。
悪気はなかったのに、ちょっとした「バカな間違い」から人生がガラガラ崩れてしまう、っていうのは傍から見ていても苦しいものだ。
モロッコ、メキシコとアメリカとの国境、そして東京。
3か所の舞台で起こる別々のできごとが、実はつながっている。
キーワードは「ディスコミュニケーション」だろうか。
言葉が通じない異邦人。耳が聞こえない聾唖者。あるいは、いくら訴えても言い分が通らない不法滞在者。思いが通じないことの不安やいらだち、絶望と孤独感が全編を貫いている。言葉が通じあうはずの家族や友達とのコミュニケーションも、決して簡単ではない。私の話を聞いて! なぜ私のことをわかってくれないの! 「豊か」な国に生きる人たちの叫びが、ヒリヒリと胸をこする。
「砂漠」が象徴的に用いられている。荒涼としたモロッコの砂漠が暗示するのは物質的な「貧しさ」。アメリカとメキシコとの国境に横たわる砂漠は、豊かさと貧しさとを分断する広大な壁だ。そして、大都会東京の、ネオンまたたく砂漠。砂漠の中にあって、人はかくも小さく無力なのだ、ということを映画は見せつける。
映画の中で唯一救いがあったのは、アメリカ人のカップルだった。ヘリコプターを使って力づくで砂漠から逃れることができたアメリカ人は助かり、モロッコの貧しい少年やメキシコ人の乳母、いわば砂漠に残された者たちは裁きを受ける。弱い者たちに救いがない、という点においても、やっぱり私はこの映画、あまり好きでない。
更新されないブログ
もともと持病のある方でしたが、まだ30代。まさかその若さで亡くなられるとは思っていなかっただけに、衝撃を受けました。
その方には会ったこともなく、私がブログを読んでいたこともご当人は知らない。私の家族でも友人でも知人でもなく、有名人でもない彼女は、しかしある時期、ある場所で確かに存在し、私が「知っていた」人でした。彼女が喜んだり、落ち込んだりする様子を、いつも蔭ながら「見ていた」のです。
その人が亡くなった、という事実は、ブログがなかった時代には考えられない感情を私にもたらしました。悲しみとは違う、何かワサワサした、落ち着かない喪失感とでもいうのでしょうか。永遠に更新されないブログを見ながら、いまもその気持ちをうまく表現できずにいます。
ブログで知る人の死は、これで3人目です。そのうちのひとりは、実生活でも数回、会ったことがある人でした。
「なかなか更新されないな。お仕事忙しいのだろうな」と思っていたら、人伝に急死されたと聞きました。過労死に近いものだったのかもしれません。
亡くなってからしばらくして、その方のブログを開いたとき、コメント欄に下品なトラックバックがたくさんついていました。亡くなった女性…仕事に懸命に励んでいた彼女が侮辱され、汚されてしまったようで、腹の底から怒りがこみ上げました。
『ゆびさきの宇宙 福島智・盲ろうを生きて』(岩波書店) [本]
福島智さんは世界で初めての盲ろうの大学教授。
9歳で全盲になり、18歳で音を奪われた。
以来ずっと、福島さんにとっては「生きること自体が戦いだ」。
生井久美子著『ゆびさきの宇宙』(岩波書店)は、そんな福島さんへの膨大なインタビューをまとめた本である。
「地球からひきはがされ、果てしない宇宙に放り出されたような、孤独と不安」の中にある福島さん。彼を追い続ける中で、著者は、そして読者である私たちも「生きるとは何か」を深く考えさせられる。
福島さんのことは以前、テレビで見て知っていたが、そのときはただ「超人」の印象に圧倒された。
今回、本書で福島さんが「適応障害」を患っていたことを知り、福島さんが福島智であり続けること、リングに上がって常に戦い続けることを運命づけられている人の苦悩、また、それを支え続けることが当たり前のように見られている妻の過酷さを知らされた。
本書の中で述べられる福島さんならでは、の「障害」や社会保障に対する考え方はたいへん勉強になった。
「セーフティ・ネット」ということばが最近よく使われるが、もともとはサーカスの綱渡りなどで落下してもけがをしないために張られた網のこと。でも、人生は綱渡りのようなものなのか、あるいは、そうあるべきものなのか、と福島さんは問う。
「…たった一人で空中の細いロープをわたっていく、特別な才能があり、特別に努力した人が、それでもなお生命の危機を伴ってやっと可能になる綱渡りのような行為を、人生の象徴として考えるような発想は、あまりにも過酷で、また排他的で、孤立した人生観だと私には思えます」
「セーフティ・ネットではなく、人生を他者とともに歩む足場としての道となるネット、という意味で『架け橋としてのネット』と呼びたい」
「障害者の問題は、社会の本当の豊かさの実態を示す『ショーウィンドウ』なんです」
人生で重要なことは何か。中学生に向けての福島さんの答え。
「人生で大切なことや、ものはたくさんあると思います。でも本当に、本当に重要なことは、おそらくたった一つだけで、それは『生きること』、つまり人生そのものです。そして、自分が生きることが大切であれば、当然同じ人類である他の人が生きることも大切です。逆に言えば、『生きること』ができていれば、『人生というテストの点数』は、それだけでももう90点くらいだと私は思います」
「生きること」じたいが、何よりも重要な仕事だ、というメッセージは本書からヒシヒシと伝わってくる。
著者の生井さんは「あとがき」で次のように書いている。
「伝えたかったことはただひとつ。この世にいま、『福島智』という人が生きていることです」
私も福島智さんのこと、ぜひ一人でも多くの方に知ってほしいです。この本をお勧めします。
ネパールの女の子
たいていの国では、女性の方が男性より長生きです。ところが、10数年前に訪れたネパールでは、男性の平均余命54歳に対し、女性は53歳! 世界の中で女性の方が早死にする国というのは、2、3例しかない、そのうちの1つでした。
なぜなのだろう。調べてみると、農村の女性の過酷な状況がありました。女の子は小さいころから家事を手伝わされ、学校にもなかなか行かせてもらえず、10歳ぐらいで結婚させられたりします。栄養状態も衛生状態もよくないなか、ひとりの女性は平均5.4人の子どもを産み、からだに大きな負担となります。教育も食べ物も病院で治療を受けるのも、すべて男の子、男性優先。だから幼児の死亡率も女の子の方が高い、という統計がありました。
ネパールの女性たちのことがずっと気になっていたときに、フォスター・プラン(現在はプラン・ジャパンと名前が変わっています)のことを知り、あるネパールの女の子のフォスター・ペアレントになりました。その子の村に井戸や教育の施設などをつくったりするために、毎年一定額寄付し続けるのです。一人の力など知れたものですが、何もやらないよりは、小さなことでもした方がいい。一人でも多くのネパールの女の子が学校に行けますように。そう願ってきました。
毎年、その子の写真が送られてきます。
10年前、お母さんの前でこんなに小さかった女の子。
その子が、今年、こんなに大きくなっていました。
写真といっしょに送られてきたレポートによると、この子はまだ、一度も学校に行っていません。家事を手伝うのに忙しすぎて、学校に行かれないのです。自分の名前を書くこともできません。
厳しい現実が、まだ続きます。
http://www.plan-japan.org/home/index.html